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2016.04.09 東京U クラブ

【2015年シーズンを振り返って】

LB-BRB TOKYO監督の福田です。

いつも温かいご支援を賜り誠にありがとうございます。

実は、私はクラブ運営の傍ら(?)金融マンも務めております。

いわゆる二足の草鞋を履いているということになりますが、正確には、「クラブ代表」、「金融マン」と「監督」の三足の草鞋になります(「クラブ代表」と「監督」は思考が微妙に異なります)。

三つの立場から、改めてこの一年を振り返りたいと思います。

■クラブ代表として-

まず2015年は、前身の「慶應BRB」を「LB-BRB TOKYO」に改名するとともに、オープンなクラブチームへとモデルチェンジし、明確に「Jリーグ参入」という目標を掲げた年でした。

より具体的には、選手を従来の慶應OBおよび東大OBに限定することなく、かと言って、我々クラブの持つチーム作りのコンセプトを崩すことなく、選手を オープン化しました。結果として今では、慶應、東大に加え、中央大、東京学芸大、東海大、筑波大等の出身者が集うクラブになっています。

そして何より、胸に「フクダ電子」のロゴ。そう東京都リーグ所属クラブとしては異例の胸スポンサー。しかも、あの「フクダ電子アリーナ」のフクダ電子さんが我々をサポートしてくださることとなったのです。福田孝太郎会長には感謝しても感謝しきれません。

加えて、女子部「文京LBレディース」発足に際しては、地元文京区からも応援していただきました。

サッカーは単に体を鍛えるためのものではないし、プロ選手になることが必ずしもサッカー人生のゴールではないと思っています。「人間形成の場」としてのサッカー、換言すると「教育のコンテンツ」としてのサッカー。

Jリーグが創設され「プロスポーツとしてのサッカー」が確立されて以来、競技レベルは上がったし、競技人口も増えたし、競技環境も格段に良くなったと思います。

ただ一方で、サッカー本来の意義が忘れ去られがちのように思えてなりません。「勝利」そのものも尊いものですが、「勝利」を求める過程に多くの学びがあるということを私自身は教えられました。サッカーに育てられたといっても過言ではありません。

Jリーグという存在がある以上、我々もそこを無視はできません。そこを目指さないと世の中への訴求力が弱いというならば目指します。しかし、そこを目指す過程で、他クラブとの差別化をどう図るべきか。

競技団体としての頂点たるJリーグを目指しながらも、スポーツの原点たる「教育」の視点を失わせない。それこそ我々のアイデンティティだと思っています。

今後のクラブ運営において、自身のアイデンティティを如何に体現していくかが大きな課題です。

ウェブサイトに理念を掲載するだけでは、アイデンティティを体現したことにはなりません。

「アイデンティティを体現したクラブ」

これはクラブ運営をする上で永遠のテーマになりそうです。

■金融マンとして-

私は今でも証券会社に勤務し投資銀行業務に従事しております。日中は膨大な金融レポートと企業の有価証券報告書と睨めっこしながら、せっせと企業に対するファイナンスに係る提案業務に勤しんでおります。

平日は仕事を抜けて夜のトレーニングに行き、また仕事に戻るということはざらです。土日は日経新聞に目を通してからトレーニングとミーティング。

子供の頃からずっと「勉強してサッカーして、サッカーして勉強する」という生活に慣れてきているので、この歳になっても仕事とサッカーの両立はしんどいけど心地良いのです。

仕事とサッカーでは使っている脳が全然違います。両方やることで自身の全脳を使っている感じです。無駄がない。

さて、本気でJリーグを目指すなら、今の仕事を辞めてどこかでクラブ経営を生業にしないとなりません。

「ではいつか?」この問いに対する答えはなかなか見つからず、他のいくつかの関東リーグのチームはすでにクラブ経営を専業として、派生するビジネスを営んでいたりします。

私は彼らの覚悟を心から尊敬するとともに、大きな焦りを感じております。

私も自身の覚悟を示すべく、また、支援してくださっている方々への責任を果たすべく、一日でも早く今の仕事を辞めてサッカーを生業にせねばと思っておりました。

一方で、現実的には生活の問題もあるし、本当にタイミングは今なのかという点に関しては自信が持てずにいたところ、私の大学時代からの友人O君(新卒から某外資系証券会社に勤務するキレ者です。クラブに個人で多額の寄付をしてくれています。)が明快な答えをくれました。

「福ちゃん、今の仕事を今辞めたらダメだよ。俺は、福ちゃんが俺たちと同じハードワークをしながら夢を追い続けているからこそ応援しているんだけど、そういう人の方が多いんじゃないかなぁ。」

そして

「サッカー専業の生活で得られるものよりも二足の草鞋を履き続けて得られるものの方が今は大きい気がする。」

さらに

「支援者の人たちが、福ちゃんの生活は守るからクラブ経営に専念してくれと言ってくれた時が辞めてもいい時だよ。むしろそういう時が訪れないとクラブに未来はないと思う。」と。

もともと自分もギリギリまではビジネスマンでありたいと思っていました。クラブ経営者になったとしても。

クラブが発展し大きくなればスポンサーや行政との関わりも深くなるし、マスコミとの付き合いも出てくると思います(現に、元日本代表監督の岡田さんのFC 今治における主な仕事は対外的な折衝のように見受けられます)。そういう方々と対等にお付き合いし、また、要求にお応えするには、自身もビジネスマンとし ての感覚を持ち続けなければならないと思っています。

だから、ギリギリまでビジネスマンとしての感覚を磨くべく金融マンを続けます。

そして、金融マンを続けるもう一つ大きな理由としては、選手に対する「示し」です。

当然のことながら、選手たちの中にサッカーを生業としている者はいません。皆が日中はハードワークしながら、平日は週2回も9時からのトレーニングに励みます。毎朝7時出社の金融マンたちにとっては地獄の日々。

そんな彼らに鞭打つためにも、私自身がハードワークせねばなりません。

「仕事してサッカーして、サッカーして仕事しろ。」

若いうちは特に頑張れる。40歳までこの生活を続けろとは言わない。もう無理だと思ったその先にまだ見ぬ世界がある(幸か不幸か定かではない)。

金融マン福田は、詰まるところ、監督福田と表裏一体でもあります。

■監督として-

私は前身の慶應BRBから今年で3年間監督を務めたことになります。

換言すると、関東リーグ昇格に3年かかった監督です。

とてもじゃないけど、これを名将とは呼べません。

先述のように今年はオープンなクラブとして慶應と東大以外の大学から選手を受け入れましたが、多様性に富んだチームとしての面白さと、その一方で、チームとしての同一性をどう維持するのかに苦しみました。

私は戦術論を振りかざすことはしません。チーム戦術に良し悪しなんて無く、在籍する選手たちの特性に合わせて戦い方を決めて、大事なのはそれを徹底すること。

ただ、それでも誰を軸にチームを作るのかで、チームが採用する戦術も微妙に変わってきます。

慶應BRB時代から採用していたのは、いわゆるリアクションサッカー。

高い位置からのプレスと、攻守の切替え時におけるハードワーク。ボールを奪ったらショートカウンターで一気にゴールへ。

しかし、リーグ中盤あたりから壁にぶち当たります。

我々の戦い方を研究してきた相手は自陣裏のスペースを消して、逆に我々のディフェンスラインの裏をシンプルについてきました。

そして悪夢のフクアリ2連敗(8月2日と9日)。自力3位以内が消滅という事態に。

選手の誰が悪かったというわけではありません。監督の私が悪かった。

そして、9月の4連戦から関東リーグ参入戦にかけて、いくつかの手を加えました。

その結果、出番を失う選手も出てきました。

決してその選手が悪いわけではない。単に、組み合わせと巡り合わせの問題。

「俺じゃなければこの選手はもっと、、、」そんな自問自答の繰り返しです。

私は選手たちに言い続けました。

「色々な思いがあるのはわかる。俺の判断が絶対に正しいとは思わない。ただ一つ言えることは、結果は全員に等しくもたらされる。今ここにいる全員が報われる唯一の道は勝利のみだ。だから、いかなる状況に置かれても勝利に向けた行動をしてくれ。」

何人の心に届いたかわかりません。

私が高校時代にひたすら自分に言い聞かせていた言葉です。

決して認めたくない者がチームの代表としてピッチに立つことがあっても、それで負けて惨めなのはピッチの外からただ見守ることしかできない者たちなのです。

だから、ピッチに立てない悔しさと惨めさは90分間だけ腹にしまい込めと。

今季は関東リーグ昇格という最高の形でシーズンを締めくくることができました。

私はいつも言います。「結果があって初めて、そこにたどり着くまでのプロセスが肯定される。」と。

この1年間の、いや、3年間の努力が報われました。

2年前のひたちなかで流した悔し涙は、市原の地で人生初のうれし涙に変わりました。

不本意ながらもチームを離れ、勝利の瞬間をともに迎えることができなかった仲間たちにも感謝したいと思います。

「市原での勝利は、ひたちなかでの敗北があってこそ。」これで2年前の我々の魂は成仏できました。

一方で、ただ一つの結果を以て、そこに至るプロセスを全肯定することも危険だとわかっています。

今季のチームマネジメントが完璧だったとは思っていません。

多くの衝突もありました。理解してやれないことも、理解してもらえないこともたくさんありました。

一人一人のサッカー人生はかけがえのないもので、このチームでの時間が各人にとって有意義であって欲しいと思うし、各人のサッカー人生にとっての「生涯最高のチーム」であって欲しいと願うばかりですが、そうしてやれたかどうかはわかりません。

今季をもって、何人かの選手が引退いたします。

私は基本的に引き留めることはしません。本人の決断を尊重する主義です。

自分の人生は自分でしかプロデュースできません。このチームでのサッカー人生を、自身の人生においてどう位置づけるのかは本人にしか決められません。

いかなる理由であれ、選手がチームを去ることはこの上なく寂しいものです。

しかし、これもチームの新陳代謝。前を向いていかねばなりません。

最後に「おまえは一体いつまで監督やるんだ?」というお声に対して。

人見をはじめとした信頼できる周囲の仲間から「おまえでは勝てない。もう代われ。」と言われ、自身で納得するまで辞めません。別に、監督を生業にして生き ていこうとは思っていません。かと言って、中途半端にやっているつもりもありません。ただ、チームの経営者としていつか監督を選ぶときに、自分自身が監督 としての「壁」にぶつかった経験がないと、本当にブレイクスルーする力を持った監督を見極められないと思うのです。だから、今は辞めません。ただ、限界を 感じた時にはすぐにでも辞めます。それは来年か、はたまた20年後かわかりません。

引き続き温く見守って頂けますと幸甚です。

改めまして、今年一年ありがとうございました。

CLUB LB&BRB 代表理事

某証券会社ディレクター

LB-BRB TOKYO 監督

福田 雅