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2016.03.02 東京U クラブ

リレーブログ:10 中川靖章

皆さまこんにちは、中川靖章(ナカガワヤスアキ)と申します。



昨季1月に加入し、関東参入決定戦を持ってLB-BRBを退団させて頂きましたが、今回リレーブログに遅ればせながら寄稿させて頂きました。以下長々と恐 縮ですが暇潰し程度にご高覧下さい。(三十路手前にもなると、迎合したり、話を合わせたり、自分の思ってもいないことを言ってみたりと、空気を読んでばか りになりがちですが、何かいい機会でもあるので、想いのままに感じた事、感じている事を書いてみたいと思います。)


私は、2006年に慶應大学に入学し、ソッカー部に4年間在籍、その後2010年に商社に就職し、会社のサッカー同好会で2014年迄プレーしておりまし た。僭越乍、大学4年の時に主将をさせて頂いており、それからのご縁もあって2015年シーズンはLB-BRBでプレーさせて頂くこととなりました。(慶 應大学ソッカー部に在籍時ゲキサカで主将戦記なるものを書いていましたので、良ければ此方で私の人となりを知って頂ければと思います。

→中川主将戦記ブログはコチラ


さて、かれこれ24年もサッカーをしてきましたが、本当の意味で「引退」だなぁと今、感じています。それは本当に燃え尽きたなぁという事に他なりません。 今だから言える話でもありますが、私はサッカーに対してさほど執着が無く、正直プロサッカー選手になろうと思った事は一度もありませんでした。幼い頃大好 きだったサッカーも、歳を重ねる毎に、それそのものの楽しさ以上に、チームや組織が目標を目指す中でのドラマや人間的成長に魅力を感じ始める様になりまし た。


LB-BRBに加入する事になった最大の理由も「またあの黄色のユニフォームを着たくなった」と言うのでは無く(申し訳ございません。)、「会社員6年目 になって少し天狗になっている自分に喝を入れ、新たな刺激を入れて何か成長できないか、きっとその先に忘れられない思い出ができるはずと思ったから」で す。


少しだけ振り返ります。高校3年の国体で全国優勝を目指しベスト8で破れ、そこでサッカーは辞めようと思っていました。それでも一緒に選手権もやろうとい う静岡高校サッカー部同期や後輩の想いに動かされ、選手権までサッカーを続けていたところ、須田監督(現慶應大ソッカー部監督)や大石元監督・井田静岡学 園高校サッカー部監督(共に静岡高校OB、慶應大学OB)に声をかけて頂き、慶應大学へ進学を決意しました。


その後大学では、元LB-BRB主将のゲンキやイチと出逢い、誰よりもサッカーに対しストイックに情熱を捧げたつもりです。マチ(現横浜Fマリノス)やオ リ(現Cerveza)と4年間戦い、私の中に「サッカー」というものは、"全てを注いだ過去のもの"となっていました。

そして社会人生活でやるはずの無かったサッカーですが、東京都社会人選抜に出逢い、社会人として働き乍サッカー選手としても一流を目指すという目標が、僅 かなサッカーへの情熱を滾らせ、サッカーを続けさせてくれました。2013年東京都大会での準優勝は、私の中で何とか燃えていたサッカーの灯火を全て昇華 させ、これでやり尽くしたかなと思っていました。


凄く脱線しましたが、福田さんに最初に声をかけて頂いたのは、そんな2013年でした。

前述のとおりで、残念ながら当時の私には、LB-BRBで戦う為の「ガソリン(情熱)」は残っていませんでした。イキがっていた事もありますが、サッカー より、自己研鑽の為には、語学やビジネススキルを上げる勉強の方が重要だと思って、その時は、一度お断りさせて頂いていました。


サッカーから距離を置いた2014年は、正直カラ回りを続けていたと思います。なかなか勉強も上手くいかなかったですし、所属していた三菱商事サッカー同好会では、胡座をかいていて、人間的な成長もできずにいたと思います。


奇しくも同年LB-BRBは昇格を逃し苦しいシーズンだったという事もあり、2014年末、福田さんから再度声をかけて頂きました。私は、失った情熱をど うやってこのチームに捧げられるのか、ずっと悩んでいました。実力以上に高く評価してくれる福田さん、人見さんに、何度も「期待しないで下さい」と言った のを覚えています。

それでも加入という決断に至ったのは、このチームの向上しようとする姿勢、新たな仲間との出逢い、そしてソッカー部で共に戦った仲間に感じた"このチームで過ごした時に得られるであろうワクワク感"でした。


シーズンの振り返りは、極力端折りますが、この一年で自分自身に新たな発見と成長がこんなにもあったのかと思うと本当に幸せな1年でした。スタッフ、先 輩、同期、後輩の姿に、負けてられないぞという気持ちが蘇り、なかったはずのサッカーへの情熱がドクドクと沸き立ってきた時にチームの魅力を再認識しまし た。

中国で生活しながら週末帰国して試合にでたり、新たなポジションに挑戦したり新鮮なチャレンジもありましたし、元日本代表の林ヘッドコーチに、インサイド キックを学んで実際にコツを得た時は、まだこんな基礎的な技術の部分でも変われるんだなぁと驚きました。新たな挑戦、探究、自分自身の発見も満載でした。


そして何より、順風満帆の私とは裏腹に、悔しい想いをしながらも懸命にチームメイトとして戦ってきたスタッフや仲間から学んだ事は計り知れません。ゲンキ は苦節もあっただろうけど素晴らしいキャプテンで、優しくて偉大なリーダーでした。イチの献身性はマネできないし、岡ちゃんもDスケも秘めた想い持って必 死に練習してるのを知ると胸が熱くなりました。セイの膝の怪我俺が負ってたらサッカー続けられてるかなぁ、シンゴさん居なかったらこのチーム成り立たない よな。。。と、全員分名前を挙げて語り尽くせないくらいリスペクトする事ばかりで、自分の不甲斐なさやちっぽけな虚栄心をいつもいつも反省させられるほど このチームのメンバーに学ぶ事は膨大でした。試合にでれずとも努力を継続することがどれだけ辛い事で、どれだけすごい事であるのか、運営がどれほど力が要 る事で犠牲を払っているのか、(私に語れるものでは無いと思いますが)、私はこれまで以上に感謝の気持ちを深く心に宿しプレーできる様になったと自負しま す。モノゴト両側面あって、良い事の裏にある苦労や悲しみにどれだけ心を寄せられるのか、一方苦しくてもそれを乗り越える為にどれだけ腐らずに続けられる のか、まだまだ私の課題だと思いますし、今更そんな事を?という様に思われてしまうかもしれませんが、LB-BRBというクラブでチームメイトの姿から一 番強く学んだことです。


今、米国Houstonに赴任して北米を周りながら仕事をしています。従い、チームを退団し、2016年シーズンは、地球の反対側から応援する事にさせて 頂きました。話が飛躍しすぎるかもしれませんが、私はLB-BRBの卒業生として、LB-BRBの活躍を願うと共に、少しでも自分がこのクラブで学んだ事 を活かせればと思っています。此方ではAsia人に対してのDiscriminationもなんとなく心の裏側に感じたり、英語力で交渉の主導権を握られ たり、なかなか日本で味わうことの無い大変さを感じることもあります。そんな相手に理解してもらう為にどうするのか、どう打開するのか。両側を知ること や、献身的な取組み、強い心、純粋な気持ち、こうした仲間のリスペクト出来る処、仲間から学んだ事が大事なポイントなのかなぁと感じています。インサイド キックと同じで、語学力という基礎的な部分もまだ成長させられるんだとも思います。場所は違えど、これからもチームメイトという気持ちで仲間に学び、負け じと此方で切磋琢磨して、これから社会と未来を創る人材になれるよう精進したいと思っています。


優等生の定型句になってしまいますが、このチームで過ごした1年間は、私にとって大きな財産でした。心からそう思いますし、沢山の事を教えて下さったスタッフ、チームメイト、そして応援して下さった皆さまには深く感謝しています。ありがとうございました。


最後に、リレーブログを面白く書けなかった事、これは私の"ノビシロ"だと思ってます。これから続くメンバーの、オモシロすぎるリレーブログを見て、また学びたいと思います。


■監督コメント

中川靖章。通称「ヤス」。

2009慶應ソッカー部永遠の主将。

この男の獲得に、私はまさに三顧の礼を尽くしました。

我々クラブの正統性を示すためには、慶應と東大両校を代表しうる存在が常に、卒業後一度は我々のユニフォームに袖を通すという既成事実を作り続ける必要があります。

いずれ我々がJのステージに、いや、クラブW杯のステージに立つ時、果たして何人の両校OBがいるでしょうか。もしかしたらゼロかも知れません。その時に周囲は我々をどのように見るか。ある人は「これは慶應のチームでも東大のチームでもないよ。」と言うかも知れません。

ある意味で正解です。なぜなら、私はそもそも両校の学閥チームを作るつもりなんてさらさらないからです。


東京のど真ん中で、東京の経済力を取り込むようなビッグクラブ。

ただ強いだけじゃなく、社会から尊敬されるクラブ。

政界も財界も官界も熱狂させるようなクラブ。


そんなクラブを作る過程を両校OBが担ったという事実。

人生を賭して、このクラブを作り上げたという事実。

それさえあれば十分だと思っています。


それらを達成するために、換言すれば、このクラブの物語を作り上げるために、ヤス獲得は欠かせませんでした。

なぜヤスなのか?

後にも先にも象徴的なキャプテンはたくさんいるではないか?

その問いに対しては、このクラブ発足の経緯を知って頂く必要があります。


2010年の発足当時に集ったメンバーは、、、

慶應ソッカー部B&Cチーム連合軍。


それはそうです。

今でこそJFLだのJリーグだの口にしていますが、つい5年ほど前は、東京都4部リーグに所属し試合の時にだけ集まる同好会的なチームだったのです。

競技志向が強く、ましてや、大学時代にトップレベルだった選手達が来てくれるわけがないのです。


しかし、大学時代に陽の目を見ることがなかった者達が、今のチームを作り上げたのです。

大山元輝や市川慎二をはじめとする雑草軍団が作り上げたチームにヤスを呼びたい。

ヤスに「仲間に入れて欲しい。」と言わせたい。

そして、ヤスと一緒に関東リーグに昇格したい、、、。


そんな思いを実現した2015年11月28日


関東昇格を賭けた戦いに、わざわざヒューストンからかけつけたヤス。

応援のためではなく、ピッチで戦うアスリートとしての凱旋帰国。


出番は後半20分過ぎ。

その数分後にヤスがつないだボールから生まれた決勝ゴール。

全ての物語はここに完結せり。

2015年シーズンのリレーブログは、今回をもって終了です。

今晩(2016年3月2日)の新体制発表を経て、正式に2016年シーズンがスタートです。

筋書きのないドラマを紡いでいくことにより形作られていくクラブの大きな物語。

2016シーズンもまた新たなドラマが生まれます。


引き続き温かいご支援賜われますと幸甚です。


LB-BRB TOKYO

監督 福田雅