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2015.12.31 東京U クラブ

リレーブログ:13 太田大輔

皆さんはじめまして。今回リレーブログを担当させて頂きます太田大輔と申します。



自ら志願して頂いたこの貴重な機会に、私がどのような想いを持ってこれまでクラブに対峙してきたか、皆さんにお伝えしたいと思います。

プレーヤーの中では圧倒的にベテラン(33歳)と言うこともあり、これまでのリレーブログとは若干タッチの異なる落ち着いた内容となっておりますが、ご容赦下さい。


私のこのチームとの出会いは2012年の春でした。

当時仕事で赴任していたシンガポールからの帰国を数ヶ月後に控え、一時帰国した私は、

人見さんから現在のLB-BRB(当時は慶應BRB)を紹介頂き、練習試合に参加しました。


練習試合後に当時主将であった渡邊武彦さんに「左サイドバックの5番(現在の主将)、良い選手ですね」と言って絶句されたのはどうでも良い話ですが、チームの士気は当時から非常に高く、このチームでもう一度真剣にサッカーに取り組みたいと思わせてくれたのが、たった1日の練習試合参加でBRBへの加入を決めた経緯です。

チーム加入後は、当然ひとりの選手として試合で活躍し、チームの勝利に貢献することを第一に考えてきましたが、もうひとつの役割として、比較的若い選手が多いチームの『重し』になることを意識してきました。若い選手からしたら10歳近く年の離れている私は、着ているベンチコートのモデルを含め完全なおじさんに映ったしれませんが、私にとっても若い選手とのコミュニケーションは簡単ではありませんでした。


大事な試合の前の緊張感、オフザピッチでの振る舞い、運営メンバーへの配慮などあらゆる面でチームのメンバーにはもっと大人になってほしいと思う部分がありながらも、若さがチームのストロングポイントとなる側面もあるゆえ、その良さだけは消さぬ様、十分に注意を払う必要がありました。選手・スタッフの頑張りに加えて、多くの方から多大なサポートを頂いたお陰で、今年、悲願の関東リーグ昇格を果たしたことは何にも代えがたい立派なことであり、胸を張っていいと思います。但し、我々のクラブが更に上を目指すためには、今後あらゆる面においてより大人な、より成熟したチームに変わっていく必要があると感じています。


2015年シーズンにおけるLB-BRBの挑戦は最高の形で実を結びました。

我々はこれからも歩みを止めず、まだまだ先の遥かな高みを目指して冒険を続けます。

引き続き、クラブLB-BRB TOKYOへの温かいご声援を宜しくお願い致します。


最後になりますが、これまでどんな時にも私とチームを応援し続けてくれた最愛の家族に感謝の気持ちを伝えたいと思います。『ありがとう。』


【監督コメント】

私は、引退する選手を引き留めることはしません。

過去には、追い出されているのではないかと冷たいくらいに感じた選手もいるのではないでしょうか。

もちろん、心情的にはチームには留まって欲しい。

しかし、果たしてそれが本人のためになるのか。

辞めると決断した以上、自分なりの相当の覚悟があってのことで、その決断を余程のことなく覆してはならないと思っています。

2年前の関東リーグ参入決定戦に敗れた後、私は引退を告げてきた太田大輔(以下、大輔)に怒鳴り散らしたことを覚えています。

何度もお伝えしている通り、関東リーグ参入決定戦で敗れた際の脱力感は言葉に表せません。

ましてや、社会人にとっては1年後は全く想定不能。

明日の我が身は nobody knows....

そんな状況で「来年もまた頑張ろう。」と言える者は、以下のいずれか。

①超メンタルタフガイ

②鈍感力超絶漢

③この1年間追込不足の甘ちゃん


「福田さん、来年またここに戻って来ましょう。」

そう言ってくれた者は1人もいませんでした。

それくらい、選手達も力を出し切ってしまっていて、何も残っていなかったのです。

その状況にまずは私自身が大きな危機感を抱きました。

「このままじゃいかん。前を向かねば。」

自らを奮い立たせ1人1人の戦う意思を確認して回っていた矢先、大輔からの一本のメール。


「引退します。」

「ふざけるな!おまえは自分の影響力を考えてるか?!」

「引退の連鎖を食い止めるべく、おまえがまずは立ち上がれ!!」


その後どんな言葉が続いたか、言った本人は覚えていません。

大輔は当時すでにチーム最年長の31歳。

「引退」を考えるのは至って普通。


大輔の入団は2012年、シーズン途中に30歳の誕生日を迎えました。

当時不動のツートップ(2010年卒の甲斐悠佑と毛利惣治)の控えとして最初のシーズンを終えたと記憶しています。その大輔が、翌年にはレギュラーの座を掴んで関東リーグ参入決定戦の舞台に立ち、その高い壁に跳ね返されて、さらにその2年後にリベンジを果たすとはだれが想像できたでしょうか。ましてやプロ選手ではありません。年々仕事やら家庭の負荷が大きくなっていく中で、この3年間の彼のアスリート人生は称賛に値します。


彼を突き動かしたものは何だったのか。

少なくとも、彼と同じ視点を持った選手は他にはいませんでした。

また、しばらくは出てこないでしょう。

33歳の男の「重み」と「深み」は、そこまで走り続けたからこそのもの。


大輔よ、今度こそ引退を許可します。

しかし、いまだにおまえの代わりはいないよ。