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2015.12.25 東京U クラブ

リレーブログ:15 黄 大俊

皆様、初めまして。背番号15番のMFの黄 大俊(ファン テジュン)でございます。



この度は、巡り巡って私がリレーブログを書くことになりました。チームメイトが繋いでくれたタスキをしっかり受け取り、乏しい文章能力ではありますが、自分の気持ちを素直に綴りたいと思います。(面白いことは期待しないでください…笑)何を書こうか非常に迷いましたが、このチームに加入するまでの感動的なストーリー(笑)、関東昇格が決まるまでの葛藤などなど、少々長くなりますが、最後までお付き合い頂ければ幸いでございます。

まずは簡単に自己紹介から。群馬県前橋市出身の27歳独身で、国籍は韓国。俗に言う在日コリアンです。中学までは群馬の群馬朝鮮初中級学校へ通い(一応2ヶ国語はペラです笑)、高校は前橋育英高校、大学は東海大学を卒業しました。大学卒業後はJFLのホンダロックに入団し、2年プレーした後、J2のザスパクサツ群馬へ移籍。ザスパで2年プレーし、ちょうど1年前に契約満了の提示を受け、色々悩んだ結果、【引退】という決断を致しました。現在はLB-BRBの事務局として活動する傍ら、代表であり、監督でもある福田さんのご紹介で、税理士法人福島会計という素晴らしい職場で日々苦手な数字とにらめっこしております。


ご覧頂いた通り、私は慶應卒でも東大卒でもありません。

まずはこのチームに入ることになった経緯から話そうと思います。ちょうど去年の今頃、ザスパクサツ群馬を契約満了になり、12月3日に行われたトライアウトを最後に1度は現役を引退する決意を致しました。正直、他のチームからオファーがなかった訳ではありません。ありがたい事にプレイヤー以外、サッカー以外の魅力的なお話もたくさん頂きました。そんな中でいろいろと悩んだ結果、出した答えが【引退】でした。

小学校1年生から始めたサッカー…気付けば20年もプレーしていました。今までどれだけの時間と情熱を費やし、さまざまな物を犠牲してきたかは計り知れません。福田さんがよく口にする『サッカーに育てられた』という言葉。まさにその通りで、ファンテジュンという人間はサッカーを通じてたくさんの素晴らしい仲間と巡り会い、サッカーを通じて国内外さまざまな土地へ行き、サッカーを通じて多くの貴重な経験をしてきました。サッカーをしていなければ、今のファンテジュンという人間はいないと思います。そこまで人生をかけてきたサッカーから離れるというのは苦渋の決断でした。


【引退】を決断したはいいものの次への一歩をどう踏み出せばいいかがわからず、

毎日フラフラ遊び歩いていました。(一回リセットするために笑)

そんな私に、3月頃だったでしょうか。年子の弟であり、慶應卒で京都サンガでプレーする黄大城(ファンテソン)から一本の連絡がありました。「アニキと会いたいって人がいるんだけど、どうする?」その頃、遊び歩きながらもいろんな方とお会いし、自分の感性を磨いておりましたので(かっこよく言うと笑)、まぁ~誰だか知らないけど、1回ぐらい良いかなという軽い気持ちで会いに行きました。その際にお会いしたのが福田さんであり、コーチの林健太郎さんでした。そこで自分の現状を話し、チームの生い立ちや実態など、様々なお話をさせてもらいました。仕事をしながらサッカーをするという二足のわらじ。しかも練習場所の確保も困難で、週に2、3回トレーニングするのがやっと。JFL、J2にいた頃とはかけ離れた世界でした。『当分サッカーはしたくないし、断ろう』というのが正直なところでした。(本音で書いてるんで許してください笑)しかし、その後も熱心に声をかけて頂き、少しぐらいいいかなと思い、試しに何回かチームの活動に参加してみました。こんな感じで、初めは軽い気持ちで福田さんとお会いし、軽い気持ちでチームの活動にも参加しました。


チームの活動に参加するにあたり、最初は実家のある群馬から週末になると都内に通うという生活を何週間かしておりました。その中で、次第に自分の心境の変化に気付き始めました。


『やっぱサッカー楽しい』


そこで私はもう一度ピッチに立とうと決意しました。私を再びそこまで掻き立ててくれたのは、このチームみんなの人間性とサッカーに取り組む姿勢です。こんな私をすんなり仲間として受け入れてくれました。(本当に受け入れてくれたかはわかりませんが、勝手に思っています笑)これもまた福田さんがよく口にする言葉ですが、

『アマチュアサッカーはいつ終わりが来るかわからない』


チームメイトはみんな一流企業でビジネスマンンをしながらサッカーしています。転勤、海外赴任など平気である世界です。現に今年1年で2人の仲間が世界へと飛び立ちました。(正直めっちゃかっこいいなって思ってます)

そんな福田さんの言葉を体現するかとのようにサッカーをできる喜びを噛み締めながらプレーしています。そしてみんなサッカーが大好きです。仕事終わりの21時からサッカーできますか?本当のサッカーバカです。笑

私が忘れかけてたモノを思い出させてくれました。

それは、【純粋にサッカーを楽しむ気持ち】

プロの世界に飛び込み、華やかな世界で好きなことを仕事にできる喜びがある反面、それでお金を稼ぎ生活するという難しさや勝負の世界の厳しさもありました。そんな中で、自分でも気付かないうちにいつしかサッカーを心の底から楽しめなくなっていたのかも知れません。


そんな私の心境の変化を察してか、福田さんは自分を高められる素晴らしい職場をご紹介してくださいました。お陰で、4月下旬からは都内に住み、GW明けからは仕事も始め、夜には週2で大原(本気になったら大原の大原です笑)にも通い始めました。(約5ヶ月続いたニート生活に別れを告げるのは寂しかったですが笑) このチームメイトは、私の1度は消えたサッカーに対する情熱に再び火を灯してくれたと共にサッカーの楽しさを改めて教えてくれました。そんな最高の仲間と共に戦った今シーズン。

このメンバーで何としても目標達成(昇格)したい…

最後に笑って終わりたい…

心の底からそう思い、走り続けた今シーズン。途中まさかの連敗もありましたが、結果はご存知の通り、最高の形で締めくくることができました。最後の関東昇格が決定する大一番で、去年まで属していたザスパのセカンドチームと対戦するとは思いませんでしたが…笑 でも試合後にザスパサポからのテジュンコールは本当に嬉しかったです。


この様な最高の形でシーズン終える事が出来たのも、支えて下さいスポンサー様、サポーターの皆さま、このチームに関わる全ての方々のお陰です。本当にありがとうございました。しかし、このチームはまだまだ旅路の途中です。立ち止まることは許されません。勝ち続けなければいけないのです。つかぬ間の休息を挟み、また走り出そうと思います。また次なる目標達成のために…

来季も可能な限り全力で戦い続けたいと思います。是非一度、会場に足をお運び頂ければ嬉しく思います。

引き続き、温かいご支援、ご声援賜りますようよろしくお願い申し上げます。


本当に長くなってしまいましたが、これで終わりたいと思います。最後までありがとうございました。


【監督コメント】

今年の1月末に飛び込んで来た「黄大俊(以下、テジュン) 現役引退」の報。

私は即座に動きました。

テジュンは、慶應ソッカー部卒で京都パープルサンガに在籍する黄大城(以下、テソン)の実兄。

このクラブを大きく変える契機となると思ったのです。

今まで慶應ソッカー部OBと東大サッカー部OBを軸に形成されていたチームでしたが、いつかは完全にオープン化され、さらに、プロ化されていくのは自明。

どこで大きく舵を切るのか。関東昇格後なのか、JFLの舞台からなのか。

明確な答えは無いものの、東京都一部リーグを突破し、関東リーグへと突き抜けるためには「覚悟を決めて今季からでもやるしかない。」と。


しかし、

「今いる選手達はどう思うのか。」

「完全サラリーマンかつアマチュアの選手達と元プロ選手の融合はできるのか。」

「そもそも、プロでプレーしていた者がこんな地域リーグで真剣にやる気になるのか。」

「もっと言うと、俺みたいにサッカーの実績も無い男を信頼してついてきてくれるのか。」

テジュン獲得は、新たなステージへ一歩を踏み出すために、避けては通れぬ挑戦でした。


一方で、テジュンにとっても新たなステージへの挑戦だったはずです。

何しろ生活スタイルが違い過ぎる。

我々が当然のように遂行している「仕事してサッカーして、サッカーして仕事する。」という生活。

日中は慣れない数字とにらめっこしながら、夜にトレーニングという生活は我々が考えている以上にストレスフルだったはずです。

しかし、テジュンはやり続けました。

素直に褒めてやりたいです。


実は、もう一つの我々の挑戦。


「引退後のサッカー選手に誇りを失わせてはならない。」


Jリーガーが戦力外通告される平均年齢は25~26歳。

すなわち、大学卒業後3~4年。

これはJリーグの構造的な問題で仕方ないとは思いますが、この年齢で一般社会に放り出されることはあまりに酷。

いわゆる「Jリーガーのセカンドキャリア問題」に、我々も向き合う機会となったのです。

私は、いわゆる大手一流企業に就職するよりもJリーガーになることの方が難しいと思っています。

そこに辿り着くまでの本人の努力、周囲のサポート、それはそれは並大抵のことではないと知っています。

だからこそ、たとえ2~3年でもそのステージに身を置いた者、多くの人に夢を与え、多くの人から応援された者は、たとえそのステージから身を退いたとしても、そんな自分の人生に誇りを持ち続けて欲しいと思うのです。

ましてや「引退後にこんな生活を送るのならば、サッカー選手なんかにならなければ良かった。」なんて絶対思って欲しくないのです。


日中どんなにお客様から罵倒されることがあったとしても、テジュンには誇り高く居続けて欲しい。

「やっぱりプロまでいった男は違うね。」と周囲の人々に思ってもらえるようにテジュン自身も弛まぬ努力をしないとなりませんが、我々クラブも彼の価値を社会に訴求する努力をし続けなければなりません。


テジュンを誇り高く。


テジュン獲得の裏に隠された我々の挑戦。

ご理解頂けましたら幸甚です。


 



試合後のテジュン選手(右から2番目)